武蔵野を立て直す!オミノ安弘の提案
耐震補強、家具転倒防止の徹底、65歳以上の家庭には援助、飲料水と簡易トイレの備蓄、ペットの同行避難も。
AI教育ではフェイクを見破る教育、また、それに伴って、人間力強化のリアル体験がますます必要です。セカンドスクールの宿泊数の増加。福祉・職場体験の充実、器楽・合唱教育もしっかり。二中・六中の統廃合は、白紙に。
世界中が異常気象が発生しています。豪雨・川の氾濫・干ばつ・山火事等、地球環境対策に全市民で力を合わせて取り組みましょう。武蔵野市としてはムーバスをCO2排出ゼロの水素バスにするなど、総合環境対策の推進。
80歳まで働ける職場、武蔵野市公共サービス公社創設ー65歳以上の社員に公共サービス発注。リサイクルセンターの復活。健康長寿の武蔵野を!年金+5万円で生活に豊かさを。障がい者の就労・住居・社会参加を促進。
現在は高齢者の方が中心に利用されているレモンキャブを移動の自由が制限されている、子育て中のお父さんお母さんにも。さらに、学校給食無償化。私学の生徒にも支援を検討。
武蔵野市はかつて、ムーバス、セカンドスクール、0123施設など、先進的な施策を次々と発信し、全国からリーディングシティと呼ばれていました。ところが、ここ数年、市民からは不安・不満の声が寄せられています。
輝かしい武蔵野市を取り戻すために、オミノ安弘は市民のお力をお借りして「武蔵野を立て直し、助けあい励ましあう日本一のまち」にする決意をいたしました。
3か月しか住んでいない外国人にまで住民投票権を与るとした、「外国人住民投票条例は市を分断。
吉祥寺駅から1分の市有地を超安価で、民間事業者に売却してしまった「吉祥寺駅前自転車駐輪場売却」は元市長が現市長を裁判で訴える事態にまで発展しました。
法と正義と情報が不足して起こった大事件です。大事なことこそ、隠しごとのない情報公開を徹底します。
市職員はもっと街に出て「市内で何がおき、市民は何を望んでいるのか」などを肌感覚で実感することが大切です。
また、「市長への手紙」が形だけの物になっているという指摘があります。
市民がもっと気軽に意見・要望が言えるよう、市長に直結する「市民何でも目安箱」を設置することで、市民の本音が簡潔に市長に伝わるようにいたします。職員が市民目線で働くことで税金の無駄遣いを無くします。
市内には、経済、金融、教育、法律、芸術文化、農業、公務員、等など各界で活躍されている方、また、ボランティアなどで地域を支えていただいている方など、武蔵野市を愛する市民がたくさんいます。
武蔵野市の市民力は日本一です。
この力を結集して、武蔵野を立て直し、助けあい励ましあう日本一のまちをつくりましょう。
昭和37年11月1日吉祥寺東町に生まれる。幼い頃から祖父に「人の役に立つ人になれ」と言われ続ける。
樫の実幼稚園、市立本宿小学校、第三中学校を経て、東京電機大学高等学校へ進学、部活は硬式テニス部に所属。
大学では建築学を学ぶため東京電機大学建築学科に入学。卒業後「人の役に立つために最高の家を作ろう」との思いで、積水ハウス株式会社に入社、設計、現場監督など約9年間在籍。
「さらに人の役に立つことは・・?」と考えた末、平成7年武蔵野市議会議員選挙に挑戦、初当選を果たす。市議会2期目の途中、地元都議会議員の引退に伴い、平成13年都議会議員選挙に挑戦、初当選を果たす。しかし、2期目の選挙で落選。4年後に再挑戦するも落選。「もはや政治家も引退か」と思いながら市民運動に参加する中で「やはり、もう一度武蔵野市のために仕事がしたい」という思いに気づき、平成23年市議会議員に再挑戦。6年間の浪人期間を経て得た「寄り添う政治」を胸に、現在まで市議会議員として活動。令和元年コロナ禍での市議会議長を経験し、改めて武蔵野市についての思いを強く持つ。
ほとんどの市民が知らされていなかった「住民投票条例案」の問題に関して街頭演説をはじめ様々な手段で住民に周知。市民と共に大きな風を起こし、市議会で条例案を否決。
市民の財産である大切な市有地が民間事業者に売却。この民間事業者はその後香港の投資ファンドの子会社に。契約の在り方、土地価格の算定など、多くの問題点に関して元市長が現市長を提訴。
コロナ禍で緊急事態宣言が発令され、市議会委員会の傍聴も自粛に。なんとしても、委員会の情報を市民に提供したく、議長としてインターネット中継を提案、実施される。
オミノ安弘は、武蔵野市民のために全力を尽くします。メッセージはオミノ安弘後援会までよろしくお願いいたします。